アトピーコラム第5回 「アトピー診療と私~その1~」
今回のアトピーコラムは、私がアトピー診療に携わることになった経緯について書いてみたいと思います。
中学生のころ重症のアトピー性皮膚炎のクラスメイトがいました。1980年代前半のことです。そのころの私は医学的知識もなくアトピー性皮膚炎というはっきりとした診断はわかりませんでしたが、今にして思い出せば、あの症状はアトピーであったように思います。皮膚の乾燥が激しいにもかかわらず滲出液が出ていることもあり、調子の悪いときは授業中も休み時間も掻いていてときに血がにじんでいることもありました。皮膚科医となった今にして思えばいろいろアドバイスできたのにと思うのですが、タイムマシンに乗って当時に戻ることもできません。知識をもたない周囲の者の無力感というものを痛切に感じた中学生時代でした。
1992年7月、一週間にわたって放映されたニュースステーションのアトピーとステロイドの特集の締めの言葉として、久米宏キャスターが発言した「これでステロイド外用剤は最後の最後、ギリギリになるまで使ってはいけない薬だということがよくお分かりになったと思います。」という表現に、大学生だった私は衝撃を受けました。医学部でアトピー性皮膚炎の治療のスタンダードはステロイド外用剤と学んでいたところに、ステロイドに対する否定的な特集が世論への影響力の大きい番組で大々的に放映されたことはとても強い印象となって心に刻み付けられたのです。
1994年、私の医師としてのスタートは小児科でした。毎晩掻いて泣いてを繰り返し親子ともに疲れ果ててしまっていたり、厳格な食事療法のため成長障害をきたしたりして、医療機関をいくつかまわって最終的に大きい病院に入院しなければならなくなる重症例を経験しました。そこには必ず「ステロイド忌避」というバックグラウンドがありました。アトピー性皮膚炎の治療をめぐって医師ごとに提唱する治療方針が違うという、まさに百家騒鳴の状況を呈していました。他の疾患ではありえない現象を目の当たりにして、私はこのアトピー診療で自信を持てるような研鑽を積もうと強く思ったのです。
1997年、私は皮膚科に移りました。小児科よりアトピーの患者さんを診察する機会が増えるということもありましたし、長期にわたり難治性の成人型アトピー性皮膚炎にも取り組みたかったのです。違った2つの科の医師のアトピーを診る視点を学べたことは非常に貴重な経験となりました。
次回に続きます。